すっきり、さっぱり。

まいにちを自由に、ごきげんにくらす。

【ダメ母の子育て反省】大事だと思っていたことを、いつのまにか見失っていた数年間。意識改革します!

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きょうは、「子育てについて、家族について、親子ともに意識改革が必要だと感じたこと」について書いています。

さっさと引き揚げていく子どもたち

大トラブルの旅行から帰国し、仕事でも家庭でも「超」がつくほど慌ただしい生活が戻って来ました。4月は本当に忙しい。


旅疲れも出始めたこの一週間は疲労マックスで、ちょっとした隙に、えっ???わたしいま数秒眠ってた???なんてことまでありました。


ある晩、仕事後のちからを振り絞って夕食を準備し、食べおわったとたんに猛烈な疲労が襲ってきて、ソファーに崩れるように横になりました。まだ夕食中だった高校生の息子と中学生の娘が、「お母さん、大丈夫?」と声をかけてくれたのは、なんとなく記憶に残っています。


目が覚めたら、22時半すぎ。夫も休暇中の残務に忙しく、まだ帰宅していません。


テーブルをみると…、
わたしの食器がぽつんと残っていました。


重いからだを引きずるように台所へ行くと…、
食べ終わった後の子どもたちの食器が、そのままシンクに放置!!!


なんか...脱力。


台所の入り口から階段の上を見ると、ふたりの部屋からはまだあかりが漏れています。

ダメ母全開!

スポンジに洗剤をとって皿を洗いはじめ、しぼりだすようなため息とともに思わずおおきな声が出ました。


「もうさ、せめて自分たちの食器だけでも洗おうってなっても、バチはあたらないと思うんだけど?!」


おおきな声は、子どもたちに聞こえるだろうとわかってて出ています。言いがかりに近いのもわかってます。でも、疲労で神経も相当マヒしてます。ここまでくるともう止まらん!のですよ…。


がちゃんがちゃん音を立てながら食器を洗い、かたづけました。ダメ母。

振り返る、反省する。

子どもたちが小学生だったころ、夕食づくりをふたりでする日を設けたり、かたづけを任せたりしていました。家族の一員として、また、本人たちのいずれの自立のためにも必要なことだと思っていたからです。


でも、中高生になって部活動がいそがしくなり、また、少ないながらも勉強する時間が出てきたりすると、ふたりがそういった家の事からとおざかっていてもヨシとするような気持ちが、いつのまにかわたしのなかに生まれてきていました。


今回、ダメ母全開でわたしがイライラしつつがちゃんがちゃん後片付けをしていたところ、子どもたちが二階から降りてきて「調子悪そうだと思ったのに、食器あらうところまで気が回らなかった、ごめん」と言ってきました。


わたしは反省しました。


イライラ、がちゃんがちゃんしたこともですが、子どもたちふたりが家の事をしていなくてもヨシとしていたこの何年かを。そして、子どもが何もしなくても、生活が回っているならそれで問題はないと思っていた自分を、です。

家族は共同体

家族は、いっしょにひとつの家庭を維持する共同体。子どもだって、立派にその一員です。


「べつに、この家に生まれたくて生まれてきたわけじゃない」と言うセリフが、ドラマなどであります。まあ、ホント実際そうなんですよね。


でも、本人が望もうが望むまいが、その家庭に属してそこでくらしを営んでいる以上、現実に一員であることはまちがいない。それぞれが、そこで何らかの役割は果たしてしかるべきだと、わたしは思います。そう、以前はそう思っていたのに、「勉強」「部活」なんていうそれらしいことに尻尾を振って、大事なことをむこうへ押しやってしまっていました。


共同体の一員としての意識を持っていること。
その中で、自分の役割を見つけること、つくること、果たすこと。


家庭も社会も同じ。これからおとなになっていくべき子どもたち自身のために、そしてわたし自身のためにも、意識改革して行こうと思います。


▼わたしの自己紹介です。
はじめまして、あらためまして、自己紹介。 - すっきり、さっぱり。